第13回 小野里秀美さん
1.がんがわかったきっかけについて
2017年の秋に37度の微熱が、1か月以上続いていたのですが、医者嫌いなので「これが更年期というものだろう」くらいに考えていて、「だるいなー」と思いつつ日々過ごしていました。
ところが、ある日38度を超える熱が3日続いたので、医者嫌いのわたしもさすがに重い腰を上げて、近所の耳鼻科へ行きました。すると診断は亜急性甲状腺炎とのこと。
甲状腺専門の病院へ行き、2か月薬を飲んで甲状腺の数値は下がっていたので、次の検診ではもう薬も終わりかな、と病院へ行くと先生が血相を変えて「白血球の数値が異常に増えていて、よーじゃくな血球も見られます。貧血も進んでいるのですぐに血液内科のある大きな病院で診てもらってください」と言われました。
『よーじゃくな血球』ってなに?と思いつつ、翌日紹介状を書いていただいた病院へ行き、検査の結果、「急性骨髄性白血病」と診断され、骨髄穿刺という検査をしてそのまま入院することになりました。
2.治療について:治療方針をどのように決定したか?検索した情報サイトがあれば教えてください
入院した翌日、家族(夫、息子、妹2人)交えて、先生からこれからの治療について詳しく説明がありました。
病名は「急性骨髄性白血病」であること。詳しいタイプは、検査の結果が出ないとわからないが、急性の場合は1日でも早く抗がん剤治療を始めることが大事であること。タイプによっては抗がん剤治療だけで終わるが、骨髄移植をした方がいい場合もあること。担当医は若い先生だが、治療についてはチームで考えて最適な方法を考えるというお話がありました。
そして入院して3日目から抗がん剤治療が始まりました。1週間2種類の抗がん剤を点滴で入れて血球をとことん下げたら、あとは2~3週間血球が上がってくるまでひたすら待ち、外出しても大丈夫なくらいまで血球が上がったら、気分転換で1週間ほど一時帰宅が許されました。
2回目の抗がん剤治療のために病院へ行くと、詳しい検査の結果が出たということで再び家族集合して先生のお話を伺いました。
わたしのタイプはM4で、予後中間群というちょうど真ん中のグレーゾーンで、骨髄移植をした方が生きられる可能性が高いとのことでした。早速、息子と妹2人のHLA型を調べてもらうと妹の1人とフルマッチのHLA型だったので骨髄移植をすることにしました。
ただ、骨髄移植をする前の抗がん剤治療と放射線治療はかなりキツイと聞いていたので、超ビビりのわたしは「抗がん剤だけでなんとかならないかなぁ?」と、先生や看護師さん、ケースワーカーさん、家族や友人たちに散々ぐだぐだ話を聞いてもらって、ようやく決断しました。
最初の寛解導入の抗がん剤治療、2回目、3回目の抗がん剤治療、4回目の骨髄移植前の抗がん剤治療+放射線治療、そして骨髄移植と長い治療期間でしたが、今では骨髄移植をして良かったと思っています。
3.がんを体験したからこそわかったこと、伝えたい思いを教えてください
入院中には立ち止まる時間をもらえ、これまでの人生を振り返ることができ、またこれからの人生をどう生きるかを考えることができました。
退院してからは、近所をさんぽ出来るだけでうれしい!
うれしくて退院後は、「あっるこーあっるこーわたしはーげんきー♪」と歌いながら、よろよろと歩いてました。今思うとあぶないオバサンですね。
そして、普通に好きなものを食べられることがうれしい!
退院して1年は味覚障害に悩まされましたが、徐々に収まりました。
何より家族や友人たちと他愛もない話をして笑いあえるのがうれしい!
とにかく普通のことがこんなにありがたいことなのだと骨身にしみてわかりました。
そして入院中には輸血を100回以上していただいて助かったので、この感謝の気持ちをどうやって伝えられるだろう、と思っていたところ、献血バスや献血ルームで骨髄ドナー登録をやっている会があることを知りました。
今はその「神奈川骨髄移植を考える」でドナー登録説明員として月に2、3回活動をしています。登録会の時には、献血に来ていただいた方々に直接お礼を伝えることができてうれしいです。
また、がん患者さんに向けたケア帽子の制作も始めて病院の売店でも置かせてもらっています。がんにならなければ出会えなかった仲間たちができて、わたしの人生は大きく広がりました。
神奈川骨髄移植を考える会 https://www.bmtkanagawa.com/
医療用ケア帽子コットンキャップ https://cottoncap.jimdofree.com/
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