第11回 阿部すみえさん
1.がんがわかったきっかけについて
2011年に会社の健康診断で再検査の通知を受け取りました。検査結果を見ても、どこがどう悪いのかが理解できずに日々の忙しさに流されてしまいました。特に自覚症状がなかったので、深く考えていませんでした。
ところが、翌年の2012年にも再検査の通知が来ました。検査結果を見ても、前回と同じでよくわかりません。たまたま仕事が一段落した時だったので病院に行ってみようかという気になりました。でも、病気知らずだったので、かかりつけ医がないし、そもそも何科に行けばいいんだろう? そんな調子でした。
知人に教えていただいたクリニックを受診したところ、「血液内科のある病院に紹介状を出します」と言われました。「地元の市立病院か、横浜市大附属病院のどちらがいいか」と聞かれて、「近すぎるのもイヤだなぁ」という単純な理由で横浜市大附属病院を選びました。というのも病気だという自覚がなかったので、近所の人と会ったりいろいろと詮索されたりするのが嫌だと思っていたからです。
クリニックの医師に見せてもらった診療情報提供書には「検査名・血液」「検査結果・赤血球数(278)」とあるだけでした。帰宅してから健康診断結果通知書を改めて見ましたが、赤血球とヘモグロビンの数値が低いということはわかったものの、「だから、何?」と思っただけでした。
2012年8月に横浜市大附属病院を初診しましたが、医師からは経過観察と言われ、3ヶ月に1回血液検査をするようにと指示されただけで、特に病名の告知等はありませんでした。シーサイドラインに乗って3ヶ月に1回の通院は、忙しい日々の気分転換になっていたくらいで、自分が病人だという自覚もなく、家族にも何も言っていませんでした。
2015年に仕事の部署が変わり、今までと比べものにならないほどの忙しさと人間関係のストレスで生活リズムが崩れ、それまで変化があまりなかった検査結果の数値が少しずつ悪くなっていきました。
2016年の後半から通院が1ヶ月に1回になり、服薬と成分輸血をするようになりました。しかし成分輸血をしても数値は悪化する一方で、月に1回の成分輸血が半月に1回になり、通院と仕事の両立が難しくなった頃には、毎週成分輸血をしても数値の改善が見られなくなっていました。
そして、2017年に正式に「骨髄異形成症候群(MDS)」と告知を受けました。
2.治療について:治療方針をどのように決定したか?検索した情報サイトがあれば教えてください
成分輸血を受ける回数が半月に1回になっていた頃に、主治医から骨髄移植の話をされていました。しかし、その頃には数値が正常値の半分以下になっていて極度の貧血状態が続き、「やらなければいけないこと」と通院の両立をすることで精一杯で、自分の病気について考える余裕すらなく、主治医の話を理解することも、骨髄移植を受けるという決断もできずにいました(そもそも骨髄移植って何のこと?と思っていました)。
主治医から「このままでは白血病に移行してしまうので、骨髄移植を受けましょう」と言われて、2017年12月に造血幹細胞移植を受けると決めました。
ここからが別の意味で大変でした。家族に何も言っていなかったからです。最初は病人だという自覚がなかったから心配させる必要がないと考えていました。そして病状の悪化につれて何かを考える余裕がなくなり、家族が心配しているから説明しなければと思いつくことすらできなかったからです。
夫に主治医からの話を伝える時も、病状の説明が難しくて「貧血のひどいの」と言ってしまい、ふざけているのかと怒らせてしまいました。骨髄異形成症候群には幾つかのパターンがあり、私の場合は赤血球とヘモグロビンの赤系統が減少していきます。
ひどい貧血状態で、だるくて仕方ないのでそう表現したのですが、主治医の話を一緒に聞いた後で夫が「確かに貧血のひどいのって感じだなぁ」と納得していました。
骨髄移植は、まず家族にドナーとなれるかどうかHLA(ヒト白血球抗原)検査を受けてもらいます。私は両親が他界しているので、肉親は実兄と子どもだけ。主治医からは子どもが1人の場合は対象外となると説明されたので、対象者は実兄だけです。
久しぶりに電話をしたあげくに、大変驚かせることになりましたが、すぐにHLA検査を受けてくれました。検査結果は、8項目中3項目が合わないため不適合となり、日本骨髄バンクを通してドナーを探していただきました。
幸いにも複数名の方が適合すると回答があり、一番条件がいいドナーさんから「いつでも大丈夫だから患者さんを優先にしてスケジュールを組んであげて欲しい」と言っていただきました。おかげで最短距離の2018年4月17日に造血幹細胞移植を受けることができました。
私にとって治療方針は、主治医と看護師さん等の医療関係者です。公立病院では2~3年で転勤することが普通です。私は初診から約8年間同じ医師に担当していただきました。冗談を言ったり、素朴な質問に答えていただいたりして、ダメなものはダメとはっきり言ってもらえる信頼関係があったから全てお任せしていました。それは、看護師さん達も同じです。
インターネットでの情報検索は、退院してからしました。自分の病気について知りたくなったからです。でも、インターネットには多様な情報があり過ぎて、怖くなってしまいました。だから、国立がんセンターなどのエビデンスに基づいたサイトだけを見るようにしました。
3.がんを体験したからこそわかったこと、伝えたい思いを教えてください
がんを経験する前の私は、自分自身にあまり興味がありませんでした。私の場合は会社の健康診断を受けていたから早期発見ができました。会社の義務だったから受けていただけです。そうでなければ、「家族は会社や学校で健康診断を受けているから大丈夫!」と言って、自分の健康診断の必要性は考えもしなかったと思います。
その意味から、健康診断の必要性の重みを実感しました。皆さんも自分の健康状態を確認するために、健康診断やがん検診を受けてもらいたいなと思います。
また、「感謝って前を向いて行くための原動力になる」ということも知りました。自宅の階段を上るのも休みながらだったのが、移植後は噓のように楽になり、慢性GVHD(移植片対宿主病)によるドライアイなどの症状があるものの日常生活を送ることができています。
それは、見ず知らずの私に骨髄提供をして命を分けてくださったドナーさんのおかげです。心配をかけてしまった家族や周囲の方々、みんなに恩返しがしたい。自分の病気を理解したおかげで、また病気を経験したからこそ知り合えた方達を通して、いま自分は経過が順調で日常生活を送っていることは、どれほど恵まれていることなのかを理解しました。
だからこそ、自分にできることを探そう・前を向こうと思えるようになりました。そして、いろんなことに興味を持てるようになりました。
冒頭の写真は、その頃、家族ででかけて娘と一緒に撮った写真の1枚です。
現在、横浜市大附属病院の造血幹細胞移植の会・院内患者会「心愛(ここあ)の会」で世話人をさせていただいています。
骨髄移植を検討している方・移植を受けた方・退院に向かっている方・ご家族、コロナ禍でオンライン開催をしているからこそ参加形態もさまざまです。ここでなら何でも言えるような場所にできたらと考えています。年4回開催していますので、横浜市大附属病院のHPをのぞいてみてください。
横浜市大附属病院ホームページ
https://www.yokohama-cu.ac.jp/fukuhp/patient/lecture/index.html
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