第6回 桜林芙美さん
1.がんがわかったきっかけについて
35歳で、乳がん告知。
当時、3歳と5歳の子育て中でした。
その1〜2年前より体調不良が続き、いろいろな診療科を受診することが増えていました。しかし、根本的な原因は不明。きっと子育て疲れや、自分の甘えだろう等と判断して過ごしていました。
変化が現れたのは、34歳の時。
胸の乳頭になんだか違和感が…
擦り傷のようなものができ、気付くと瘡蓋ができていました。
それが剥がれて分泌液が出て、また瘡蓋になる、その繰り返しが続きます。
「病院に行った方がいいのかな?」「何科に診てもらったらいいんだろう?」
そんな気持ちもありながら、当時は遅めの産後ダイエットを兼ねて、運動に夢中だったので、単なる摩擦によるものかなと、そんなに重く考えてはいませんでした。
なにしろ体重は減少し体は軽くなり、下の子の入園も決まり、仕事も始め、身体的にも精神的にも、明るい未来に向けて進んでいるような順調な時期だったからです。
不安へと変わったのは、乳頭の悪化でした。 瘡蓋になるよりも、分泌液と血液がぐちゃっとしている状態が頻繁になり、ずっと絆創膏をつけなくてはならない状態に…。 再度、症状をネット検索にかけ、その時初めて《乳がん》の可能性があることを意識しました。あらゆる病院を探し迷い、乳腺外科クリニックの受診を決意。 しかし当時有名人の乳がん公表の影響か、予約は3週間以上先になりました。
その期間に、しこりが出現!
「あぁ、きっと乳がんなんだな」と自覚しての初診でした。
触診、エコー、マンモグラフィなど、全ての検査を受け、その日に《乳がん》がほぼ確定。
後日の検査結果で、[乳がんステージ2b・HER2陽性]ということ、すでにリンパ節に転移があると判明しました。その後、手術や治療を受けましたが、肺に転移が発覚します。
現在40歳になりました。
ステージ4という段階ですが、治療を続けることで、私のがんは微小のまま維持しています。副作用や後遺症と上手に付き合う方法を模索しながら、今もがんと共に生きています。
2.治療について:治療方針をどのように決定したか?検索した情報サイトがあれば教えてください
自分の満足と、納得のいく治療を受けたい!
セカンドオピニオンを受けたくない!
→受けたくても子どもの預け先がない。時間がない。仕事を休めない。
“クリニック”を受診したのは、そんな私の要望を相談できるのではと考えたからです。乳房再建をしたいこと、仕事や子育てとの両立のため通院時間や場所など条件に合うところなどなど。
そこで紹介してもらった病院と医療者との出会いには、今も感謝しています。病状や治療プランの詳細を納得いくまで説明してくれ、同時に気がかりだったことの心のケアやサポートもしてもらいました。
がんになるにはまだ比較的若いようで、[AYA世代のがん]罹患となり、父は動揺、母はずっと号泣していたので、自分がしっかりしなくてはいけない。子どもはまだ小さく、不安や恐怖を与えたくない。がんだからといって日和ってはいけない。
そんな気が張っていた時、この病気の[主役であること]を思い出させてもらいました。左胸を失うこと、再建は難しいこと、妊孕性がなくなるかもしれないこと、治療の副作用による変化があることなど、奥にしまい混んでいた不安を1つずつ話しをすることで解してもらいました。
これから立ち向かう治療は簡単ではないけれど、常に医療者に寄り添ってもらったことは強い味方がいるようでした。
私の乳がんのタイプは、がんが増殖する進行が早いこともあり、スケジュールは慌ただしくもありましたが、治療プランに沿って治療メニューを1つ1つこなしていく、目の前の治療と向き合おう!
そんな前向きな気持ちで、術前抗がん剤から治療生活がスタートしました。
【検索した情報サイト】
乳頭の症状〜がん確定の間にも、何度も情報のためネット検索をしました。
・がん拠点病院やその他の病院
・若年性乳がんや、若年がんのコミュニティ
・乳がん患者会
・ブログなど体験談が書かれているもの
・口コミ掲示板
その合間には、「これでがんが治った!消えた!」などの広告やサイトが出てくるのですが、そちらには偏りませんでした。 それにかける費用の経済的な余裕がなかったこともありますが… 元々野菜は大好き、サプリメント摂取もしていた、お水もこだわって飲んでいた、スピリチュアルや信仰も嫌いではない。乳がんの家系ではない。 でも、がんになった。
いろいろ検索しながらも、目の前で向き合ってくれている医師や看護師、病室仲間やコミュニティの友人たちの言葉や情報を頼りにしていました
3.がんを体験したからこそわかったこと、伝えたい思いを教えてください。
5年半、がん患者として生きてきました。
今後寛解できるのか治療が続いていくのかはわかりませんが、今の時点では、がんはいつも私と一緒にいます。
それでも今日までの期間、がんになったことで出会った物事、出会った人は、かけがえのない宝物です。
がんにならなくていいのなら、そのほうがいいに決まっています。友人や知人が苦しんだり、亡くなる度に、「がんのバカー!!」と泣き叫びます。決して慣れることはなく、しんどく、つらく、悲しいこともたくさんあります。それはずっと変わりません。でも私の場合は、以前では得られなかったものもたくさん得ています。
せっかくなら、がんになった代わりにもっともっと私にとっての「得」をたくさんして、人生を全うしようと野望を抱いています!
1人の人間としてやりたいこと、
娘として、親として、やりとげたいこと。
まだまだ夢がたくさんあります!
といっても私は機敏ではないので、ぼちぼち進もうと思っています!
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